o
SSブログ

ツキノワグマ 九州 絶滅 原因 [社会]

「九州のツキノワグマは絶滅した」として
環境省はツキノワグマを絶滅種に指定しました。

ツキノワグマはアジアからロシアにかけて広く分布し
日本では本州以南に生息する熊です。

胸に三日月のような白い模様が特徴で
体長は約150cm位、体重はオスで70kgと
人間に近いサイズなんですね。

北米にいるあのグリズリーの巨体とは大違いな
なんとも憎めない風貌をしてます。

ツキノワグマは、以前から開発などによる
生息地の破壊や毛皮の為の乱獲などその数は
激減していました。

さらに、かなり昔から内臓の一部が薬として
売買されていたこともあって
既に絶滅へと追い込まれていたんですね。

よく町中に現れた熊が銃で撃ち殺される
なんてニュースがあるけど

もともとは森を生息地としていたのを
人間の環境破壊により森の中の食べ物が減ったため
人里に現れるようになってしまったわけですね。

九州のツキノワグマは1957年の子グマの死骸が
最後とされていて、それから50年以上も生存が
確認されてないので

普通に言えば、「既に絶滅している」となるんでしょう。

因みに、現時点での絶滅種は8種あって、
絶滅寸前の危惧種は149種もあるんだそうです。

それも全部人間が原因となってるなんて、
なんとも申し訳ない話じゃないですか。

ただ、同じく絶滅種に指定されたカワウソと違って、
ツキノワグマは登山者などの目撃情報もあることは確かなので
どこかで生きいればいいんだけどね。



nice!(0) 

タルク粉 アスベスト 中皮腫 [社会]

山口県の准看護師の女性が。
中皮腫になったとして労災認定されました。

中皮腫になったのは、病院で手術用のゴム手袋を
再利用する時に使っているタルク粉に含まれていた
アスベストに原因があるとしています。

確かに海外などでは、医者が手袋についたタルク粉が
原因で中皮腫になったとの報告があります。

厚生労働省の発表では、これまでにタルク粉によって
労災が認定されたのは17件もあります。

ただし、医療関係者の労災認定は今回が初めてだそうです。

では、 ”タルク粉”って一体なんでしょう?

”タルク”は、滑石と呼ばれる軟らかい白い石のことで
このタルク原石を砕いて、細かい粉状にしたものを
”タルクパウダー”いわゆるタルク粉というんですね。

何に使用するのかと言うと
ゴム製品が張り付くのを防いだり、
白粉などの顔料に使われています。

「医者が使う医療手袋の再利用の際に使う」と
あったので、日常生活では使うものではないと
思ってたんですが

なんと以前、赤ちゃんが使うベビーパウダーに
含有されていたという報告があります。

当然、ベビーパウダーへのタルクの使用は
禁止されましたが、
他の物にも使用してるんじゃないですかね?

例えば、100yenショップに売ってる手袋。

前に仕事の関係で購入したとき
いざ使おうと思ったら、なんか白っぽいものが
付着している。

あれ、これなんだ?と思ったんですけど
そのときは、手袋にタルク粉が使われているなんて
全く知らなかったんで

今となっては
それがタルクだったのかどうかもわかりません。

でも、手袋って手を入れ易くするために
白い粉状のものがくっついているものありますよね?

あれって、タルクなんでしょうか?

それ以来、手袋買ってないんで
他の手袋がどうなのかはわからないし
ましてや、全部がそうだとも限らないし・・・

中皮腫を発症するアスベストというのは、
10〜40年の潜伏期間があるので

中皮腫の可能性があるかどうかは
専門的な詳しい検査をしないと
わかりません。

ただ、初期症状にはせきとか胸の痛みなどがあるので、
そういった症状が長く続く場合は、
早期に検査をしたほうがいいです。

nice!(0) 
共通テーマ:健康

御巣鷹山 事故 ボイスレコーダー [社会]

御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機事故から
早や27年も経つんですね。

なんと570人もの方が犠牲になった大惨事でした。

当時は、週刊誌なんかに事故の様子、
つまり事故直後の写真なんかが掲載されてて

墜落した時の衝撃がいかに強かったのか
よくわかりました。

それと、事故前のフライトの状況を記録している
ボイスレコーダーの一部が公開されてて
聞いた事があります。

内容は、機長・副操縦士・機関士などの会話が収録されていて、
当時の状況を生々しく知る事ができました。

肝心な部分は削除されていたような記憶があるんですが
いずれにしても、知られてはまずい事なんでしょう。

最後の言葉は機長が発したもので、
機体を全力で上げるように指示していました。

「(機体を)上げろ!!」といったように怒鳴り声のようでした。

そのうち、何かぶつかるような音がしましたが
それが衝突時のものかどうかはわかりません。

でも、機長は最後まで最善を尽くそうと
努力していたことがはっきりとわかります。

残念ながら、
機体は既にその制御能力を失っていたので
数分後に墜落してしまいます。

現在ではちょっと考えられないですが、
当時は事故の状況をそのままの写真で掲載していたので
現場の状況がよくわかりました。

生存者もいますが
あの衝撃で本当に運がよかったと思います。

当時の有名人では、
坂本九さんが亡くなられましたが

不幸にも亡くなられた570名の方には、
ご冥福を祈らずにはいられません。


nice!(0) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。